2007年02月13日
おとなの授業参観2
「 あなたは、自分のページやサイトを、
親兄弟に見られることを
想定していますか? 」
これ、先週、宿題にさせてもらった
テーマです。
ちょっと補足すれば、
想定してるかどうかというより、
「見られて恥ずかしいか否か」
という流れでしたね。
先週自ら発したこの質問に、
その後少し考えさせられております。
・・・
え〜と、ここから先、
ちょっと込み入ったお話をします。
お急ぎの方(笑)は、どうぞスルーして
くださいませね。
さてと、
「親兄弟に見られて恥ずかしいか否か」
自分から言い出しといて、非常になんなん
ですが、ブログってそもそも世間に
公開してますよね。
そのブログが見られて気恥ずかしいってのは、
一体なにが気恥ずかしいわけ?
・・・でしょうか?
そう自問自答して、
どうやらわかってきたことは、
およそ次のようなことです。
●自身の過去に関する記事:
特に気恥ずかしいと感じない。
(すでに自分ではないと言い訳しやすい)
●自身の未来に関する記事:
特に気恥ずかしいと感じない。
(まだ自分ではないと言い訳しやすい)
●自身の現在に関する記事:
たぶん、ここです(笑)
失言したり見栄をはったりするナマの自分が、
素(ス)のまま登場しちゃうからです。
しかも肉親は、これを見破りやすい。(汗)
そうか、「現在」が気恥ずかしいのか。
でも、大丈夫なひとは、もちろんOKなん
ですよ。慣れかもしれないし。
問題なのは、無意識のうちに
自衛行動をとりそな、例えばアタシの
ような人。(笑)
「現在」を語ることを避けて続けていると、
果たしてどうなるでしょうか?
→ はい、ブログが、おもいで君と
あすなろ君で、埋め尽くされます。
それでも放置しておくとどうなるでしょう?
→ なんか、つまんなそうです。
そうなんです。
たぶん書いてる自分が、一番
つまらなくなります。
親兄弟は鋭いです。
図星できます。(笑)
だから最強の観客。
しかし、良くも悪くもブログは
自分自身。
ブログを続けていくため、
何より大切な読者のために、
「現在」に背を向けてちゃいけないんです。
そんなふうに思いました。